三澤寺に棲む八大龍王様
三澤寺には南信で随一の巨大な龍神像が令和4年に安置されました。
模擬御柱という神道 八大龍王という仏教 神仏習合の法華神道に還る
この龍神像建立は当山42世日幹 ※以下住職の発願によってはじまりました。
ここに建立に至る経緯をお話させていただきます。
始まりは住職の夢枕
住職は千葉県の生まれで伊那市とはそれまでご縁がありませんでした。
そんな中で伊那市の三澤寺とご縁をいただき、この地で布教をするにあたり不退の心で臨むために水行を行いました。
伊那市での水行は千葉のそれとは異なり、寒さゆえ心が挫けそうになりました。
しかしながら、伊那市で僧侶としてお題目を唱えるために自分で課した修行なのでなんとかやり遂げた次第でございます。
そんなある日、夢の中で水行をしていると本堂の中からどこにでもいるような老人が出てくるのです。
その老人は私の水行を見守ると
「このお寺が気に入ったから棲むことにした」
と仰っしゃりました。
その後も何度が同じ夢を見たこと
決まって水行をしている夢を見ることから龍神様なのかと思った次第であります。
城所ケイジ氏との出会い
龍神様の夢と確信した後、そのお住い、御尊像を用意する必要がございました。
しかし条件が合致せず困っているとき偶々日本チェーンソーアート協会の城所ケイジ様の作品を見ることができました。
城所氏にコンタクトを取ると快諾
龍神像建立に一気に話が進みましたが次の課題が生まれます。
龍神像にふさわしい材木を探して
城所氏とお話が進んだことで次の課題は材木でございました。
長野に馴染みのある材木で建立したいという私の願いを汲んでくれましたが材木探しは難航しました。
そんなある日、岡谷市のショッピングセンターで諏訪大社の前回の御柱を拝見いたしました。
令和4年はまさに御柱の年、このとき天啓のように閃き、御柱で龍神像を建立しようと思ったのです。
御柱実行委員会様との出会いと再びの夢枕
諏訪市役所内の御柱祭実行委員会の方に連絡をし、諏訪大社様に掛け合っていただきました。
しかし、御柱は氏子様にも大社様にも大切な御神木、話は纏まりませんでした。
当然といえば当然と諦観しましたがある晩に再び夢を見ました。
あのときの老人が横たわる大きな木を見ながら
『大丈夫』
と一言、仰られたのです。
御柱はそびえ立つ御神木です。
横たわる御柱は無いのに・・・と思って夢は夢か、と思っていました。
下諏訪町 木落坂 模擬御柱との出会い
それからまもなく、御柱祭実行委員会様より木の候補が見つかったと連絡をいただきました。
その木は下諏訪町の木落し坂にあるというのです。
さっそく木を見に行きますと
横たわった大木で、その木の名前を『模擬御柱』というのでした。
この木こそ老人が言っていた御柱に違いないと思い、翌日に管理している下諏訪町観光協会様に連絡をさしあげました。
一日でもタイミングが遅ければ・・・
連絡をしいただける事が決まりましたが、その裏では同様に模擬御柱を欲しがっている人がいらっしゃったそうでございます。
私の電話の次の日にその方から連絡があったそうですが、最初の約束を優先し、模擬御柱が三澤寺にお越しいただけることになりました。
彫刻、そして最大の山場
無事に彫刻が始まりましたが、ここで最後にして最大の山場。
それは模擬御柱の損傷でございました。
模擬御柱は七年横たわっていた木。
中の腐敗も進んでおり、無事に彫刻出来るのか? と心配になりました。
しかしながら、城所氏の「龍神様が自分にいらない部分を腐らせているだけ」
とお仰るように、龍神像は不要な部分を切除し完成したのです。
結縁満願成就の龍神様
夢枕から始まり、完成に至るまで私は龍神像様の完成を願い続けてきました。
その完成は多くの方のご尽力と綱渡りのような偶然、奇跡の連続で成り立ちました。
この龍神様は私に
・願うことの大切さ
・真っ直ぐな願いは届く
・正しい事は誰かが助けてくれる
ということを教えてくださりました。
そして、今、私も皆様に
「皆様が願うこと、たった一つのかけがえのない願いは必ず神仏に届く」
と胸を張って伝えられます。
この龍神様が『結縁成就』と言えるのは
まさに多くの方のご縁がつないで願いが叶ったからに他ならないのです。